ぼくは信じる

きのう(7月24日)、母を家を訪ねたところ、母は「骨董」を「弥生浦島」まで読んでくれていたようだったが、
「この本で何が言いたいの?」と訊かれ、
ぼくは「・・・」
言葉がなかった。

しかし内心では「言いたいことがなければ書いてはいけないの?」
とも思っていた。
いまはただ、「わかってくれる人もいるはず」、と、とにかくそれだけを信じている。
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コメント 2

金さん(金川茂)

津田さん、お久しぶりです。
いや~、随分キツイ一言を言われてしまいましたね。
僕も「骨董」を読みましたが、解のない方程式のように思えました。
ただ、人生を生きてゆくのは、ごちゃごちゃした感情の世界を彷徨っているのだと思います。

要するに、人生には解が欲しいと簡単に望むひとが、多いのです。

そしてプルーストのように、そこから浮遊している文学には、必ずしも「解」はなくてもいいのだと思っています。

by 金さん(金川茂) (2011-08-01 06:34) 

hiroshi

金さんへ

「解」のない文学に将来はないのでしょうか?
by hiroshi (2011-09-21 03:38) 

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