自分の脚で立つ「表現」
「書くことがあるうちはまだ駄目なのだと以前から考えている。書くことが思い当たるうちは、表現はまだほんとうに真剣でない。」
(古井由吉「力の世界にあること」より)
上記は「表現が自力で息をすること」への「希(ねがい)」を表白したものと思う。
「書き手が真剣でない」と言わずに、「表現が真剣でない」というところに注目したい。
「表現が真剣なものになる」ことの前提として、「書き手のうちに書くことがない」という認識ないしは条件が示されている。そうした環境では、「言葉が紡がれる速度」はひじょうにゆっくりとしたものとなるだろう。「表現が生まれる速度」が「生きる速度」に一致するという体験には、かすかな陶酔感が流れ込んでくることだろう。
(古井由吉「力の世界にあること」より)
上記は「表現が自力で息をすること」への「希(ねがい)」を表白したものと思う。
「書き手が真剣でない」と言わずに、「表現が真剣でない」というところに注目したい。
「表現が真剣なものになる」ことの前提として、「書き手のうちに書くことがない」という認識ないしは条件が示されている。そうした環境では、「言葉が紡がれる速度」はひじょうにゆっくりとしたものとなるだろう。「表現が生まれる速度」が「生きる速度」に一致するという体験には、かすかな陶酔感が流れ込んでくることだろう。
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