自分の脚で立つ「表現」

「書くことがあるうちはまだ駄目なのだと以前から考えている。書くことが思い当たるうちは、表現はまだほんとうに真剣でない。」
(古井由吉「力の世界にあること」より)

上記は「表現が自力で息をすること」への「希(ねがい)」を表白したものと思う。
「書き手が真剣でない」と言わずに、「表現が真剣でない」というところに注目したい。
「表現が真剣なものになる」ことの前提として、「書き手のうちに書くことがない」という認識ないしは条件が示されている。そうした環境では、「言葉が紡がれる速度」はひじょうにゆっくりとしたものとなるだろう。「表現が生まれる速度」が「生きる速度」に一致するという体験には、かすかな陶酔感が流れ込んでくることだろう。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

先達の考え好きな描写 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。