想起
以下は、若松英輔「震災と死者の詩学」(『新潮』2011年10月号)からの引用:
1.井筒俊彦は、主著となる『意識と本質』の雑誌連載の途中から「言葉」と「コトバ」の文字を使い分けた。
2.「コトバ」は物体であるよりも、働きである。存在者を世界に在らしめる力、そのものを意味する。
3.池田晶子にとって、「考える」とは超越的境域の想起であり、哲学とは、死者との語らいを「コトバ」によって表現することである。
引用は以上。
「超越的」とは「形而上的」ということであろうか。
「考えることは、そのまま超越的境域の想起である」とは、哲学者としては稀な考え方なのかもしれないが、作家にとってはむしろ、それこそが「考える」ということそのものではないか。
1.井筒俊彦は、主著となる『意識と本質』の雑誌連載の途中から「言葉」と「コトバ」の文字を使い分けた。
2.「コトバ」は物体であるよりも、働きである。存在者を世界に在らしめる力、そのものを意味する。
3.池田晶子にとって、「考える」とは超越的境域の想起であり、哲学とは、死者との語らいを「コトバ」によって表現することである。
引用は以上。
「超越的」とは「形而上的」ということであろうか。
「考えることは、そのまま超越的境域の想起である」とは、哲学者としては稀な考え方なのかもしれないが、作家にとってはむしろ、それこそが「考える」ということそのものではないか。
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