ものにする
おととい、やっと『蜩の声』を読み終え、昨夜、古井由吉と松浦輝の対談を読んだ。
まずは、その対談の一節の引用から:
松浦:熟すというか醸すというかね。言葉が自分の中に入って、それがいろいろな雑菌の作用で徐々に発酵してゆ
く。そういう時間の体験が今どうっも薄れている気がします。
古井:それと、読めば読むほどわからなくなる。わかったと感じても、一瞬後にはよけいにわからなくなるという、「わ
かる」と「わからない」のあわいがあるでしょう。グレーゾーンに迷うときこそ、それが自分のものになる兆しな
んです。
ぼくの感覚でいえば、何か新しいものが「自分のものになる」と思えるだけまだましで、「人間は所詮、新しいことを自分のものにする」ことすら不可能なのではないか、という気分が今の世には蔓延しているような気さえする。
まずは、その対談の一節の引用から:
松浦:熟すというか醸すというかね。言葉が自分の中に入って、それがいろいろな雑菌の作用で徐々に発酵してゆ
く。そういう時間の体験が今どうっも薄れている気がします。
古井:それと、読めば読むほどわからなくなる。わかったと感じても、一瞬後にはよけいにわからなくなるという、「わ
かる」と「わからない」のあわいがあるでしょう。グレーゾーンに迷うときこそ、それが自分のものになる兆しな
んです。
ぼくの感覚でいえば、何か新しいものが「自分のものになる」と思えるだけまだましで、「人間は所詮、新しいことを自分のものにする」ことすら不可能なのではないか、という気分が今の世には蔓延しているような気さえする。
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