どこで「読む」のか

「読む」という行為はまず、「目」あるいは目の不自由な人の場合は「指」で点字をたどることから始まる。

それが「脳」に伝わり、さらにときとして「心」にまで伝わる。

一方、これは「本を読む習慣」のある人なら、誰しも経験していることだと思うが、「一度しか読めない本」と「繰り返し何度でも読める本」というのがある。
どちらも「心」に届く可能性は持っている。

ぼくも6日前に55歳になったが、年を取ると「何度でも読み返して」いるうちに、こちらの「読み方」にも変化が出てきて、自分で新たな自分を発見するような気にさせられることもある。

これは、ある意味で、「読む」という行為によって「過去の自分」が「現在の自分」に何かを「与えている」と考えられるのではないかと思った。
こうした考え方の基底には、「心は一個人だけの所有物などではない」、という認識が潜んでいるような気がする。
タグ: 再読
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コメント 2

ak

日記を読みにきていただいて、コメントまでいただき、ありがとうございました。

書かせていただいたお返事と一部重なってしまいますが、
最近ブログを再開して使い方がまだよくわからず、様々な方が、色々な記事をかいていらっしゃるな…と、色々なカテゴリーをみてまわっていました。

あまり繰り返し同じ本を読んだ経験がなく、
友人のお子さんが小説でも何度も読み返し、その度に感じ方が違うと言っている…という話をしたことがあり、

>、「読む」という行為によって「過去の自分」が「現在の自分」に何かを「与えている」と考えられるのではないかと思った。

に、なるほど。。。と思った次第です。
by ak (2011-12-11 13:40) 

hiroshi

akさんへ

いただいたコメントに気づくのが遅れてしまい、申し訳ありません。
たしかakさんも、英語の勉強方法として「多読」ということをいわれていた、と思いますが、日本語の場合もおなじで、同じ本を繰り返し読んでいると「日本語の語彙力」も自然と付いてくるのです。

akさんも、繰り返し読みたくなる英語の本に出合えるよう、願っています。
by hiroshi (2011-12-14 00:15) 

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