仕事としての文学

「相互理解」を諦めている、あるいはそれを期待していない種類の人を相手に、ぼくは何を為し得るか。

「文学をする」かぎり、その「対象」とはなり得ない種類の人たちがいることをしっかりと認識し、必要に応じてそうした人たちを対象から排除することが「仕事という意識のうえに立って文学をする」ということなのだろう。

「表現力と表現の無力さの認識は相携えて深まるようだ。この二つのものはどうやら本来一つのものらしい」
という古井由吉のことばを、きょう(2012年1月7日・土曜日)になtって、ぼくは初めて上記のように理解した。

しかし、どのような仕事においても、「仕事人間」になってはいけない。
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