好きな描写

漱石著「明暗」から、主人公の津田が夜の伊豆の鄙びた駅に降りたときに、視界に映るもの寂しくも幻想的な「ぼんやり黄色く灯る街灯など」の部分。
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自分の脚で立つ「表現」

「書くことがあるうちはまだ駄目なのだと以前から考えている。書くことが思い当たるうちは、表現はまだほんとうに真剣でない。」
(古井由吉「力の世界にあること」より)

上記は「表現が自力で息をすること」への「希(ねがい)」を表白したものと思う。
「書き手が真剣でない」と言わずに、「表現が真剣でない」というところに注目したい。
「表現が真剣なものになる」ことの前提として、「書き手のうちに書くことがない」という認識ないしは条件が示されている。そうした環境では、「言葉が紡がれる速度」はひじょうにゆっくりとしたものとなるだろう。「表現が生まれる速度」が「生きる速度」に一致するという体験には、かすかな陶酔感が流れ込んでくることだろう。
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先達の考え

「しかし作家はいずれどこかで、白紙に向うようにして、描写の要請に立ち向うところに来る。むろん誰が要請するわけでもなく、ほかならぬ自分の書きすすめてきた小説が要請するのだ。その時、描写というのはかなりいかがわしい性格を帯びる。つまり、対象をいきいきと思い浮かべようとすることと、それを綿密に描こうとすることとが、相前後してではなく、同時に、相携えて行なわれる。描きながら、描く対象を生み出していく、というところがあるのだ。」
(古井由吉「表現ということ」より)

「描写」にこそ、個々の感性が現れる、ということなのだろう。

小説を読む、とは、同質の感性を探し求める「旅路」ではないか・・・
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「描写」に先立つもの

2つ前の記事に、「動機は、描写したい」というタイトルを付けましたが、いまにして考えれば「書く前」から「これを描写したい」というものがあったとは思えません。
1編ごとに、書く前には2、3の情景は頭に浮かんでいましたが、それだけであれだけの長さを満たすには不十分でした。書いているうちに、何かが姿を現してくる、という感じです。ここでいう「何か」とは、端的に言ってしまえば「文章そのもの」にほかならなかった、と思います。

いま、高崎直道著「大乗起信論を読む」という本を読んでいるのですが、そのなかのある節の副題に、「真実は言葉では表せない」とあるのですが、「言表に先立って真実が存在する」とは、ぼくには俄かには受け容れられないのです。

ここで「唯物」とか「唯識」とか哲学的な方向へ向かう関心はさらさらなく、「言表」をつうじて「真実を創造する」というのが「言葉」の本質ではないか、という意識を持ちながら、思索を深め、今後の「表現活動」につなげていきたいと考えています。

何かご意見のある方は、考えをお聞かせください。
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励みになりました

前回の記事をアップしてから12時間あまりで、33件の閲覧があり、大変励まされました。

原稿を書いているときは、「何を言いたいのか」ということは考えなかったし、いまも敢えて考える必要はないと思っていますが、これからしばらくは、「なぜあれを書いたのか」、その動機を自分なりに見つめてみたいと思います。
その過程で気づいたことがあれば、また報告させていただきますので、よろしくお願いいたします。
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書いた動機は「描写したい」

今回の記事は、前回の記事への自分なりの回答です。

1.「骨董」は、ぼく一個人にとって関心のある事柄について書いた、というのが偽らざる事実である。

2.しかし、それらの事柄は単なる「興味」ではなく、自分の実生活から滲み出てきたものである。

3.それにしても、「言い回しの揚げ足取り」、と取られるようなところも少なからずあるとは思うが、それはぼくの「読み方の癖」であり、そうした箇所は読み手としてのぼくに「表現欲求」を促すものだった。

4.それはまぎれもなく、「日本語としての表現」を要請するものであり、ぼくなりにできるだけ「内容」に迫る「表現」を追求したつもりだ。

5.その「表現」を媒体にして「内容が向こう岸に届いてくれれば」、と願うばかりだ。

6.また、個人的には「描写」に力を注いだつもりなので、そこを感じ取っていただければ幸いである。
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ぼくは信じる

きのう(7月24日)、母を家を訪ねたところ、母は「骨董」を「弥生浦島」まで読んでくれていたようだったが、
「この本で何が言いたいの?」と訊かれ、
ぼくは「・・・」
言葉がなかった。

しかし内心では「言いたいことがなければ書いてはいけないの?」
とも思っていた。
いまはただ、「わかってくれる人もいるはず」、と、とにかくそれだけを信じている。
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アマゾンー3

7月17日にアマゾンをチェックしたときには7冊だった在庫が、きょう7月20日にチェックしたところ「在庫12冊」となっていました。
これは、「さらに売れる」と予測された結果なのかどうか、判断に迷うところです。
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目撃!

7月17日・日曜日。
神保町に行き、東京堂書店、三省堂書店に行き、在庫検索をしたところ、どちらも「骨董」は「在庫なし」。

そこで新宿に行き、紀伊国屋本店で在庫検索をしたところ「あり」だったのですが、実際に棚に行ってみると並んでいませんでした。
ならば、と紀伊国屋書店・新宿南店に行くと、在庫検索の結果は「あり」。いざ、書棚に行くと次の記事の写真のとおり、辻原登さんのとなりに並んでいました。本が「ひとり立ち」していってくれれば、と思いました。
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