観照

井筒俊彦著「意識と本質」を、今夜、読み了えた。
その最後近くの次のような箇所を読んでいると、「もしこの人がぼくの『骨董』を読んでくれたとしたら、どんな感想を持たれただろう」と、つい想ってしまう。

一方は「本質」の実在性を主張する。他方は「本質」など実在しない、存在は「混敦」だ、と言う。だが、「本質」をはさんで、肯定的と否定的、右と左に分れて対峙するのではない。実は、表層意識の存在観と深層意識の存在観の対峙なのである。すなわち、日常的、経験的意識に現われる存在風景と、非日常的、観照的意識体験として現出する存在風景とが、有「本質」、無「本質」という形で対立するのだ。


余談

きょうの昼、母と電話で話していたら、母は『骨董』を読了してくれたそうで、最後の「月影」が「一番好きだ」と言っていた。
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