<後熟>
以下は、辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』の「まえがき」からの引用:
すぐれが原作は<死後の生>の中で、読み継がれることによって<後熟>してゆく。併行して、その翻訳作品も読み継がれることによって<後熟>してゆき、その外国語の深化に力を貸す。さらに深化した外国語、つまり日本語によって、原作が新たに訳し直されるとしたら……、われわれの再読のよろこびは尽きることがない。
引用は以上。
引用中の「原作」を「作品」に、「外国語」を「読者」に置き換えれば、通常の「日本語での読書」にも、この指摘はあてはまるだろう。
すぐれが原作は<死後の生>の中で、読み継がれることによって<後熟>してゆく。併行して、その翻訳作品も読み継がれることによって<後熟>してゆき、その外国語の深化に力を貸す。さらに深化した外国語、つまり日本語によって、原作が新たに訳し直されるとしたら……、われわれの再読のよろこびは尽きることがない。
引用は以上。
引用中の「原作」を「作品」に、「外国語」を「読者」に置き換えれば、通常の「日本語での読書」にも、この指摘はあてはまるだろう。
タグ:東京大学で世界文学を学ぶ 辻原登
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