「ことば」と「生活」
朝日新聞、10月5日朝刊の「ひととき」欄は、アメリカ在住の81歳になる日本人女性からの投稿だった。彼女の肩書きは「大学生」となっている。
投稿のタイトルは「私の日本語は冷凍品」となっていた。
夫の転職に従って1960年に渡米し、ニューヨーク近郊で半世紀を過ごしている、と書いてある。
1987年から10年間、日本の銀行の支店で働いたとき、若い駐在員たちから、「あなたの言葉は古典的だ」、と言われたらしい。
英語のほうはというと、どんなに努力をしても語彙の貧しさを責められる、と告白し、投稿は次の一文で締め括られている。
「後生大事の日本語が、えたいのつかん;うものへと変身中の今、私の言葉は地球温暖化で徐々に沈む南方の島のごとく、立つ瀬をだんだん失っています。
実生活こそ表現活動の栄養素となる「ことばの源」である、と思わされると同時に、高齢になって、自己を託せる言語がない、という心細さがひしひしと伝わってきた。
投稿のタイトルは「私の日本語は冷凍品」となっていた。
夫の転職に従って1960年に渡米し、ニューヨーク近郊で半世紀を過ごしている、と書いてある。
1987年から10年間、日本の銀行の支店で働いたとき、若い駐在員たちから、「あなたの言葉は古典的だ」、と言われたらしい。
英語のほうはというと、どんなに努力をしても語彙の貧しさを責められる、と告白し、投稿は次の一文で締め括られている。
「後生大事の日本語が、えたいのつかん;うものへと変身中の今、私の言葉は地球温暖化で徐々に沈む南方の島のごとく、立つ瀬をだんだん失っています。
実生活こそ表現活動の栄養素となる「ことばの源」である、と思わされると同時に、高齢になって、自己を託せる言語がない、という心細さがひしひしと伝わってきた。
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