生きる
わたしたちは日々、つらいことや哀しいことを経験しながらも、同時に「生きててよかった」ということをも経験しています。
ぼくのブログを読んでくれている人の多くは、「書くこと」に関心のある方々だとおもいます。
となると、「文章との出会い」も大切な「出会い」のひとつでしょう。
しかし、やはり「ひととつながりたい」からこそ、ブログを書いたり、それにコメントを付けたりするのだとおもいます。
そして、「この文章に出会えてよかった」と言ってもらえるような文章を自分自身で創作できたらなぁ、と願っているわけです。
ぼくも、そのような創作ができれば、と常におもっていますが、そのためにはときには取材も必要になってきます。
きのうは、そうした取材のひとつとして、ある人を訪ねて京都に来ました。その人は、扇子の絵付け職人さんです。
午後1時に京都駅で待ち合わせ、まずは近くの喫茶店で1時間半ほどお話をうかがい、今回が初対面だったのですが、意気投合し、つづいてその人のお気に入りスポットである、大津の琵琶湖のほとりまでいき、湖面をわたる風にあたりながら、話をしました。
夕方4時過ぎに琵琶湖を離れ、京都にもどって、ふたりで焼き鳥屋にいき、話が盛り上がり、お店を出て別れたのが夜の9時でした。
「文章との出会い」も必要ですが、「ひととの出会い」も大切にしていきましょう。
ぼくのブログを読んでくれている人の多くは、「書くこと」に関心のある方々だとおもいます。
となると、「文章との出会い」も大切な「出会い」のひとつでしょう。
しかし、やはり「ひととつながりたい」からこそ、ブログを書いたり、それにコメントを付けたりするのだとおもいます。
そして、「この文章に出会えてよかった」と言ってもらえるような文章を自分自身で創作できたらなぁ、と願っているわけです。
ぼくも、そのような創作ができれば、と常におもっていますが、そのためにはときには取材も必要になってきます。
きのうは、そうした取材のひとつとして、ある人を訪ねて京都に来ました。その人は、扇子の絵付け職人さんです。
午後1時に京都駅で待ち合わせ、まずは近くの喫茶店で1時間半ほどお話をうかがい、今回が初対面だったのですが、意気投合し、つづいてその人のお気に入りスポットである、大津の琵琶湖のほとりまでいき、湖面をわたる風にあたりながら、話をしました。
夕方4時過ぎに琵琶湖を離れ、京都にもどって、ふたりで焼き鳥屋にいき、話が盛り上がり、お店を出て別れたのが夜の9時でした。
「文章との出会い」も必要ですが、「ひととの出会い」も大切にしていきましょう。
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