就活と言葉

以下は、古井由吉「表現ということ」からの引用:

描写というのはかなりいかがわしい性格を帯びる。つまり、対象をいきいきと思い浮かべようとすることと、それを綿密に描こうとすることが、相前後してではなく、同時に、相携えて行なわれる。描きながら、描く対象を生み出していく、というところがあるのだ。何の足場もないような不安に襲われて、ただ浮わつくまいと、乏しい現実感覚をすべて動員して、筆を抑え抑え進んでいく。すこしでも厳密であろうとすることによって、この自由の奔放さを克服しようとする。しかしその厳密さがときどきほんの一歩、現実感覚の外へはみ出してしまう。
ちょっとした動きや身振りの描写にすぎないのだが、私はその時、表現というものをもっとも強く感じる。

引用は以上。


「言葉」を寄せ集めただけでは「表現」にはならない。
「就活」を指導している人々は、このことを自覚しているだろうか。
あるいは、「就活」で求められているのは「表現ではない」ということを自覚しているだろうか。

この区別をはっきりとさせないで「就活」の指導をしていると、学生は「言葉に思いを込め」ようとして努力しながら、何度も壁にぶち当たり、その「言葉」からは潤いが失われ、ひいては「表現」への意欲を失うどころか「言葉では本当のところは伝えられない」と感じ、「言葉への不信」そして「表現への不信」へという道を辿ってしまうのではないか。

ぼくが言いたいのは下記のことである:
・「就活」に「描写」は不要だ。
・「就活」には「表現」も不要だ。
・「言葉」に恐れをいだく学生たちに、その「恐れ」は単に「言葉に対する恐れ」であって、「表現」や「描写」に対してまでも「恐れをいだく必要はない」ということを、しっかりと伝えて欲しいということだけだ。

さもないと、「言葉に対する恐れ」から「人間不信にまで陥ってしまう人がいるのではないか」と心配だ。
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