自己否定

道元は、日常的な分別心としての「慮知心」と「菩提心」との違いと関わりについて以下のように語っている。
どんなにすぐれた菩提心も、人間的慮知心から生まれてくるものではあるが、なまのままの、本能的な意味での慮知心だけでは菩提心とはならない。慮知心が菩提心となるためには、その間に一種の止揚、すなわち自己否定による自己肯定が必要である。

以上、有福孝岳著「『正法眼蔵』の心」より


「自己否定による自己肯定」という表現に、年を取ったせいばかりではない懐かしい匂いを嗅ぐおもいがするのと同時に、気持ちが自己否定の相(フェーズ)にあるときほど「生きている」という実感が強く伴うような気がする。
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