以下は、池田晶子「<魂>の理解の仕方」からの引用:
冷静に考えてみると、この「解釈」「分析」というのは、人が自分の知っている理屈によって、自分の知らない対象を解釈、分析することなわけで、そのことによって、自分の知らないことを知ったことになると、普通は人は思うわけだ。しかし、そも自分の知らないことを、自分の知っている理屈によって知って、はたして自分の知らないそのことを知ったことになるのだろうか。その時知ったのは、自分の理屈による自分の知り方だけであって、自分の知らない対象そのものではないのではないか。
引用は以上。
この「自分」という壁を乗り越えるためにこその「身体」なのではないか。
2011-09-10 02:05
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