以下は、池田晶子「埴谷雄高と大森荘蔵」からの引用:
哲学者という性向あh。どちらかと言えば論理性への偏愛であろう。したがって、論理と論理の隙間を、論理に先行する「質」もしくは「気配」が埋めていることを、見落とし易い。「質」を表現できるのは、哲学の言葉ではなくて文学の言葉である。
引用は、以上。
これをぼくなりに言い直せば、
「心とは何か」というのは哲学的な問い方であり、「心というものがあるのなら、少しでも多くの心と触れ合いたい」というのが、文学的姿勢であろう。
2011-09-11 00:34
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