あたらしい小説

今晩、石川淳の『文林通信』を読み終えた。

そのなかから、古井由吉について書かれた部分を引用します。

わたしの見るかぎりでは、古井君は現在の日本の文学状況の中にあって、当人の意図がどうであろうと、ともかく当人なりに「あたらしい小説の形式をさがしもとめ」ているのではないかとおもう。


ここで石川淳がいう「新しさ」と同じものかどうかはわからないが、古井由吉について小川国夫がいっていることも、以下に引用します。

いわば、肉体の記憶の中から、物の意味を探し出そうとする。これが古井が独特な文学者である第一の理由だといえる。

ちなみに、第二の理由として小川国夫は以下のように書いています。

私はさらに、古井の扱っている病気について言及しなければならない。これこそ彼の文学の鍵なのに違いない。
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コメント 3

hiroshi

金さんへ

8月1日の記事「ぼくは信じる」にコメントしてくれたのに、きょうまで気がつかなくて、すみません。

「解」のない文学に将来はないのでしょうか?
by hiroshi (2011-09-21 03:34) 

金さん

小説には、筋のあるものが多いですが、まったくないものがあってもいいということです。いわば不条理なもの。逆に新しいものかもしれません。
by 金さん (2011-09-21 17:30) 

hiroshi

金さんへ

励まされるコメントをありがとうございます。
by hiroshi (2011-09-22 00:17) 

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