保存される場所
先ほど、船木亨著『メルロ=ポンティ入門』を読了した。
その「あとがき」から、一箇所引用する:
われわれは、すでに西欧哲学のなしたさまざまな自己批判についてよく知っている。西欧の自己批判にとっても重要なことは、西洋と東洋との真の出会いであって、それこそメルロ=ポンティの望むところのものであった。実際、かれはそう書いている。差異との出会いによってこそ、思想は真に保存される。
引用は以上。
ここでは、「どこに保存されるのか」ということには触れらていないが、それはもちろん、「精神的な記憶」としてではなく、「身体的な記憶」としてだろう。
その「あとがき」から、一箇所引用する:
われわれは、すでに西欧哲学のなしたさまざまな自己批判についてよく知っている。西欧の自己批判にとっても重要なことは、西洋と東洋との真の出会いであって、それこそメルロ=ポンティの望むところのものであった。実際、かれはそう書いている。差異との出会いによってこそ、思想は真に保存される。
引用は以上。
ここでは、「どこに保存されるのか」ということには触れらていないが、それはもちろん、「精神的な記憶」としてではなく、「身体的な記憶」としてだろう。
2011-10-04 03:23
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