自作掌編小説

      澄 明

津田 博司

 なかにいて「広い」と思うだけでなく、通りをへだてた向かい側から眺めても「広い」と感じさせるその建築物は、単に「大きい」というだけでなく、実際の建物部分のまわりにゆとりを持った空間がしつらえられていたため、そういう印象を醸し出していたのだろう。建っている場所が市内の文教施設の集まる一郭であるだけに、なおさらそういった印象が強かったのかもしれない。その一郭を除けば、建物は肩を寄せ合うように建っていた。
 私がその光景を目にしたのは、東京から十二時間ほど車を夜通し運転し、途中で初夏の夜も明け、人影もない市の中心部を路面をはしる市電だけが幻みたいに宙(そら)からのものであるような音を残して遠ざかる、山のなかにいるかのごとき錯覚を起こさせる土曜日の朝だった。
 その建築物は、光の白い粒子を浴びていた。そしてすっぽり静もれていた。
 ふたたび人を受け入れるまでにはまだ一時間半ほどあり、妻と私は、いまとなっては俄かに信じ難いような話だが、朝の八時半だというのに営業していたレストランにはいり、量も時間もたっぷりとした朝食をとることにした。最初に飲んだ、冷えた水がおいしかった。天井が高く、人の背丈ほどのところまで煉瓦積みになった店内で、注文してから出てくるまでに時間のかかる料理を待ちながら、前の晩交代でハンドルを握った妻と私は、あのときはとにかく眠くて車が左右に蛇行した、などとあぶなっかしい話をしながら、無事に目的地に着いた安堵感に浸っていた。

 十時の開館と同時に足を踏み入れた空間は案にたがわず異界だった。非現実的というのではなく、現実世界ではめったにお目にかかれぬ「真実」の霊気に満たされている分、それだけまさに無機質的だった。見えない幕の内側に誘い込まれたと思った瞬間、他の数少ない来館者ともども妻の姿が吸われて消えた。いくら耳を澄ましても、物音ひとつ伝わらない。
‐‐昼間は口をとざしていても、作品たちは夜語ります。
それだけ言うと声は引き潮のように遠のいて、黒い砂がかわいていった。

 横に長い窓外で、竹の林が陽をくっきりと身に受けている。

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