才能に気づく才能
以下は、「文学界」2011年9月号に載っている諏訪哲史によるエセー「どうすれば小説が書けるのですか?」からの引用である。
ここまでずっと読書の必要性ばかりを書いてきたが、もっと切実な条件が、小説を書くのには必要とされる。それは一言でいえば「エスプリ」の才能、文学的なセンスの有無である。これは、言葉で人に教えることができず、おそらくは読書の累積によってしか鍛えられないものだ。ただ、勇気を出して言うが、センスというものは、それを当たり前のように持っている者と、逆さに振っても出てこない者とが歴然として存在する。こうした才能は先天的なものではないように思う。
ここを読んでぼくは、「才能に気づく才能というものが存在する」と改めて確信させられた。
ここまでずっと読書の必要性ばかりを書いてきたが、もっと切実な条件が、小説を書くのには必要とされる。それは一言でいえば「エスプリ」の才能、文学的なセンスの有無である。これは、言葉で人に教えることができず、おそらくは読書の累積によってしか鍛えられないものだ。ただ、勇気を出して言うが、センスというものは、それを当たり前のように持っている者と、逆さに振っても出てこない者とが歴然として存在する。こうした才能は先天的なものではないように思う。
ここを読んでぼくは、「才能に気づく才能というものが存在する」と改めて確信させられた。