作家の仕事

・他者に同情・共感を寄せる日本語の本質的な機能が、西欧語(中国語)の客観性と使い分けられて活用されるとき、この世界は本当の共生を可能にすると信じます。

以上、熊倉千之著『日本語の深層』(2011年5月)より


・かりそめにも外国語の文章の魅力に触れて、そして母国語の微妙な勘をまったく損われずにすむなどということは、近接した言語どうしの間ならいざ知らず、ヨーロッパの言葉と日本語というようなおよそ異った言語の間では、あり得ないことなのだ。

・私(翻訳者)は依然として建築物をひと部分ずつ解体して組立てなおす作業に従っていた。しかしときどき、論理の節があるべきところで、筆がひとりでに日本の長文の情緒に流れ出す。すると言葉は原文のレアりティーからどうしようもなくずれて行くのだが、日本語としてたしかに生きてくる。

・そんな分裂からひとまず逃がれられたというだけでも、外国文学者の畑から迷い出て小説に深入りした甲斐があったと、今はつらくなると自分を慰めている。

以上3箇所、古井由吉「翻訳から創作へ」(1971年2月)より


「一見、進化する余地のなさそうな」日本語を、それでも進化させていくのが、作家たちの真の仕事である。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。