良質さ

自分を正当化したい、自分を正しく賢く、ときには美しく見せたいという下心は、どんなにすぐれた文章にもはたらいている。ただ、良い文章は上手下手にかかわらず、他者への洞察によって自分を相対化しようとつとめ、しかも相対化しきれない自分をあらわすものだ。自分が結局は自分でしかないことに、許しを求めているような表情が、良い文章にはどこかしらうかがわれる。

古井由吉「表現のくふう」より


東日本大震災後の日本人の行動について、それをたたえる声が世界から寄せられているという。それを鼻にかけるわけではないが、私もそうした声は素直に受け容れていいとおもう。

「それにつけても」、である。日本人にそうした行動をとらせる何かが、現在の文学の世界の文章、特にベストセラーなどにおいては、鳴りをひそめてしまっているのではないか、と思わされる。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。